2012年1月18日水曜日

無功徳

むくどく : 善い行いをいいふらすな

善き行いとは不思議なもの。
人知れず行なっていると、自分の心が「無心」に慣れていきます。

善き行いは心を静かに満たしてくれます。

善き行いをした報いを「功徳」といいますが、
下心あっての行いには功徳はありません。
功徳を重ねることは功徳を重ねていないことと同じだと、
無心で行うことが肝心なのです。
だから功徳は「無功徳」。
ともすれば、何も無かったかも知れないその瞬間を、
善い行いに向かわせてくれたチャンスに感謝。

善い行いは、諸刃の剣でもあります。
何故なら、善い行いには打算があって、
人に知らせたり、見返りを求めたりすればいっぺんに色褪せ、
功徳ではなくなってしまいます。

命を救ったことも、席を空けたことも、誰にも知らせず、黙ってやりましょう

そうすることで、
私たちの今日の善い行いは、清々しい無心を得ることができます。

「ほっとする禅語」より引用させて頂きました。ありがとうございます。
確かに、「自分があの時・・・」「私がいたから・・・」
そんな風に言っているのを聞いたことがあります。
私もそんな事を口に出すこともあります。

実は認めてもらいたいとか、
こんな事をできる自分がいると自信を持った裏返しだったり、
そんなこともあるのかも知れません。

ただ、善い行い、または偉業を成す人は
自分からその行いを言いふらしているのをあまり見聞しません。
そんなこと、あったかな?くらいのご様子。

黙っていても、その行いの素晴らしさを知っている人はその後ろを付いていきます。
後世に語り継いでいきます。

「無心」でいたい。そう思うこともしばしばです。

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